ニッカウヰスキー余市蒸溜所は、NHK連続テレビ小説の『マッサン』の放映以降、一般の方にも広く知られるようになった。数年ぶりに余市蒸溜所に訪れてみた。
蒸溜棟は、夏のメンテナンス時期にあたるが、建物の耐震補強工事を行っていた。今年から3年をかけて、メンテナンス時期に工事を完成させるという。
宮城峡蒸溜所(仙台市)は、コンピューター管理によって、現在3交代制で増産体制に入っているが、余市はコンピューターを導入せずに、1日1バッチの体制を維持している。
現在余市の生産量は、宮城峡の約1/8から1/10にとどまっている。
これは余市蒸溜所が、初溜釜(ウオッシュスチル)は今や世界でも珍しい石炭直火加熱を行っており、人的な問題もあるのだが、消費者の志向も影響しているからだという。
かつてニッカのブレンデッドは、スーパーニッカやG&Gなど、ピーティな原酒を使用したものが人気であったが、今は竹鶴やブラックニッカなど、フルーティな宮城峡の原酒を多く使用したものが主力商品となっているというのが主な理由のようだ。
さてポットスチルを改めて見てみた。余市は1から4号までが初溜釜(ウオッシュスチル)で、5号は使用していない初期のポットスチル、6~7号が再溜釜(スピリッツスチル)である。
この理由を現場の方にうかがうと、7号のコンデンサーは、シェル&チューブで、それを導入するときに、コンデンサーの高さに合わせてラインアームの向きを変えたのだという。
シェル&チューブを使用している蒸溜釜があるということもこのとき初めて知った。
すべてワームタブだと思っていたのだ。
ワームタブのほうが蒸溜液と銅との接触が少なく、よりヘビーなウイスキーになる。
また6号、7号の再留釜は、石炭直火ではなく、蒸気による間接加熱であった。
この経緯をチーフブレンダーの佐久間正氏に後で伺ってみた。佐久間氏によれば、1987年に再溜釜を石炭直火から間接加熱に変更したのだという。初溜釜にくらべ、再溜釜のほうが、高熱によって焦げる要素が少なく、品質が変わらないという判断をしたからだ。
さらに1990年に7号のみをシェル&チューブに変更したのだという。
6号と7号の蒸溜液は、分けられることはなく、一緒のスピリッツタンクに入れられる。
これらの変更の後、蒸留液はややすっきりした印象になったという。
さて一般公開していない、蒸溜所の奥にある大型の熟成庫を約10年ぶりにみせていただいた。
以前見せていただいたときには、かなりの数のミズナラ樽があった。その多くは、長熟のものであった。今回、シェリー樽、新樽など数多くの樽はあったが、ミズナラ樽の数は減っているようだった。ミズナラといえば、サントリーのイメージが強いが、ニッカは昭和40年ごろにアメリカンオークの新樽を導入する前は、すべてミズナラ樽であったという。樽の使用年数は50年以上なので、その後も使用されつづけてきたことになる。
「ブラックニッカ」ブランド60周年を記念して数量限定で発売した「ブラックニッカブレンダーススピリット」などに一部使用した原酒は、樽材に関する古い記録はないそうだが、おそらくミズナラ樽がメインであると思われるそうだ。
現在もミズナラの新樽を作り続けている。その数は年間数十丁だという。
日本市場むけに余市と宮城峡の限定品が2018年9月26日から発売された。モスカテル・ウッド・フィニッシュである。
ポルトガルの酒精強化ワインのモスカテルの樽に、ヴァッティングした60度の原酒をいれ、約1年間後熟したものだ。
チル・フィルタリングせず、夏の時期に常温でフィルタリングしているため、風味を強く感じるウイスキーになっている。
2018年11月以降に、欧米市場むけに、ラム・ウッド・フィニッシュも限定発売される。ニッカの今後のウッド・マネージメントに注目したい。
2018年9月取材
文/山岡秀雄(ウィスキー評論家)
ウイスキーコレクターとして有名で、世界的なネットワークを持つ。海外のノージングコンテストで8回の優勝歴を持つ。著書にDVDBOOK『シングルモルトのある風景』(小学館)、飜訳書に『モルトウイスキー・コンパニオン』(共訳・小学館)など。